私が今こうして日記を書いているという事

今日は昼間ライブに向けての練習に参加し、それが終わってから夕方に家電量販店で洗濯機を購入した。ライブも間近という事でなかなかピリピリとした気分で練習に臨んだ。

話は変わって、タイトルの「私が今こうして日記を書いているという事」について。
これは何のことかというと、私がこうして自宅で日記を書いているということは、外出して用事をこなして帰宅するまでの間、安全だったということなのだ。

例えば、私とすれ違う歩行者や自転車、自動車が安全に自分とすれ違ってくれたからこそ、私は怪我もせず無事に生きている。同様に、今日乗ったバスや電車が安全に運行してくれたからこそ、私は事故に巻き込まれず平穏無事に一日にを終えることができたのだった。

それは当たり前のことだろうか?

言い換えよう。それを当たり前のこととして考えているだろうか?
安全で当然。無事で当然。生きていて当たり前。ほんの少しでも肩がぶつけられたら、それだけで一日の気分が台無しになるのだろうか?肩はぶつかったけども、車道には飛び出さなかったとか、それでも怪我はしなかったとか。そんなふうに考えられないだろうか?
何か一つ歯車が狂って、取り返しのつかない大惨事が発生することが多々ある。
そんな中、私はこうして無事でいる。

さて、改めて考えてみる。

こうして、無事に一日を終えられたことはあたり前のことだろうか?